5月 30, 2014

中国の党家村という村を訪ねたことがある。西安での仕事のついでにタクシーを走らせて到着したときは感動したものだ。世界のいろいろな都市に行くといつも人の住まいと集落を探す。住まいの方はいくら興味があっても簡単にはみせてくれない。集落はその点、隅から隅まで徘徊しても叱られない。

党家村の街路はまるでヨーロッパの田舎町の街路と変わらない。煉瓦や石や土の壁が変化しながらつながっていて、ところどころに井戸があったり門があったりする。ヨーロッパの都市のように広場がないのだから都市内部のコミュニティは強くないようなのだが、閉ざした門の内に院子と称する中庭があって閉鎖的な住戸が街に対してではなく自然に向かって解放されていることに気付く。ヨーロッパの街にも中庭があるのだがそこへ向かっての開放性には大きな相違がある。

僕は思うのだが、西洋の壁型建築(これは洞窟型建築と僕はいっている。洞窟がその原点になったのだと思うからだ)と中国の壁型建築では中庭への開放感が違うのだ。中国の四合院では確かに外部に対しては閉鎖的だが院子という中庭には開放性がつよい。いつも閉鎖している門から想像しても中庭は私的な空間だったのだろう。その私的な空間に向かって家屋は開放的である。四合院は北方からの建築だから防寒性が重要だから当然、南方のような開放的な柱梁型のファサードではない。

広い中国のことだから南方系の建築が主流の地域もある。四合院のように門があり四方を壁で囲いながら内部には柱梁の構造を持つ建築もあるのだが、いずれにしても外に向かっては閉鎖的で壁を接して集合する集落が多い。これまで東アジアには共通する文化があると仮説を立てていたのだが中国の建築や集落を見ると、中国には西方の文化が濃厚だと感じざるを得ない。西洋と陸続きの大陸だから当然なのだろう。

それに対して、日本は東アジアに属しながら建築は顕著に南方的で海洋型だなと思う。高床もそうだし外界への解放性だってそうだ。風が通り過ぎる家・・・これが南方海洋型文化を表現する建築の姿である。それを見ると中国の建築はあまりにも異なっている。室内での生活を見ても中国では履物を履いたままで過ごしている。家具だって唐の時代にはもう西方から入ってきている。そもそもは履物を脱いで胡座で座る文化だったところへ椅子の文化が導入されて大きな椅子状の床に履物を脱いで胡座をかく生活が根付いたようである。海洋型、あるいは農耕型の胡座文化に狩猟型の椅子の文化が入ってきたのである。当然、そこでは椅子も胡座のための椅子になる。中国の椅子は四角い台のようなものに手すりのようなものをつけた形をしている。手すりのような形であって背ではないから西洋の椅子のように背にもたれる座り方をしない。

中国の椅子がどれもこれも、名作といわれる明朝の椅子だって座り心地はよくないのは背の文化がないからだと僕は思っている。胡座の文化を背景にして発達した椅子は西洋の椅子のような背を持たないのだ。中国の家具はどうやら胡座家具というべきものだったのである。そして現代デザイナーのデザインする椅子もこうして背の意味が消えた家具になっている。

集落と建築と家具とについて西洋のそれと比較するといろいろ面白いことが見えてくる。日本が単純に中国文化の影響で生まれたと言い切ることはできないのである。中国も日本を含む南方海洋型文化と同じ顔を持っていただろうし、その大きな影響を受けて唐以前の家屋では胡座の生活だったのである。事実、中国の南方と北方では相当に民族も異なり生活文化も異なっている。島国日本のように収斂して日本の独自の文化を形成するのではなく、原始的文化が多様な他の文化の影響によって変化していく様子が見えてくる。収斂ではなく拡散型なのだ。日本のように明確なアイデンティティは見えては来ないのである。

西洋の壁型建築では閉鎖的だから当然,人々は想像力を駆り立てて壁にイメージを描く。壁画が生まれるが同時にキリスト教などの壮大なイメージの王国を築いていく。壁にはそのイメージが壁画や天井画として描かれる。海洋型の日本では風の建築が主流である。柱と屋根だけがあり自然と連続的である。壁が培う想像力はここでは生まれない。代わりに強烈な自然の印象が人間を捉えることになる。描く壁は無いのだから屏風絵やふすま絵、或いは芸術的な装飾のある小道具になる。自然の風の中で過ごす日本人が育てていくイメージは花鳥風月になっていく。

中国ではこの南方系の自然との生活を反映した花鳥風月の文化と北方の防寒からくる建築とそこでの文化と西方からもたらされる狩猟民族の文化、家具などの文化が多様性を保ちながら高度に合成されていく。中国のアイデンティティがあるとすればこの多様性なのだろう。多様性から多重性を導き出した高度な総合力なのだろう。計画性が欠如する現場主義の中国人の資質もこの多様な時代の多様な状況のせいなのだろう。

(写真は党家村の家屋、四合院)