2月 20, 2014

東京二期会のオペラを観てきた。 ジュゼッペ・ウェルディの「Don Carlo」である。オペラ劇場ではない東京文化会館大ホールだからオペラの醍醐味はだいぶ薄いのだが会場は満席で大盛会であった。

ドン・カルロに限らないのだがオペラからは「神と愛」の重圧に押しつぶされそうなヨーロッパ人が見えてくる。僕が大学生のころだからまだ10代後半か20代になったばかりだったのだが、東京大学の当時、名誉教授だった浅田孝さんがこう僕に語ってくれた。「雅之君、ヨーロッパ文化はキリスト教を理解しなくては分からないよ」と言うのである。100%キリスト教文化だというのである。オペラを観ているとその言葉を思い出す。

王も神に与えられた立場である。だから教会には頭が上がらない。王の后の昔の許嫁に対する恋心は神への罪の意識で苦しみに変わる。愛はどこまでも奉仕的で美しいのだが現実離れに感じるのは日本人だからか・・・。罪と愛の重さに押しつぶされて死を選ぶ場合も死後の世界は神の世界であったりするのだ。

大学生のころ、ニーチェだのサルトルだのに夢中になっていた頃、「神は死んだ」と絞り出すように書かれているニーチェの言葉が不思議だった。初めから僕たちには神はいなかったのだから当然である。神に人間の無力さを指摘されながら守られていたのに「神が死ぬ」ことで突然、不安におののくことになるのらしい。僕たちにとって人間は初めから不安な存在だったのだが、西洋人は神を捨ててはじめてその不安を知ることになる。

キリスト教は実に壮大な「仮説」だったのだと思う。この壮大な仮説を理論化するために哲学が育ったのだし、その仮説を広めるために世界一のベストセラーである聖書がつくられた。その聖書に1行、「ユダヤ人はキリストの死を否定しなかった」と書かれているだけでその後のユダヤ人の悲惨な運命が始まったのだそうである。なんと恐ろしいことだろう。

それにしても壮大にして華麗な仮説だった。建築から音楽から絵画から、生活の隅々まで呑み込んでしまったキリスト教の文化はオペラを観ても華麗で壮大である。初めてヨーロッパの旅をして美術館を観歩き、血みどろな絵画に驚いたのだが、キリスト教の物語は血だらけである。国家間の民族闘争もその血を生み出したのだが、キリスト教を布教する時の魔女狩りなどの血みどろの歴史も今のキリスト教文明を創り上げた影の物語である。狩猟民族で都市国家間の闘争がありそこにキリスト教の布教がこのような血を呼ぶのだろう。

あの感動的なオーケストラの音楽の背後にも見えないのだがきっと血のにほいがしみこんでいるのだろう。オペラは血だらけだった。美しい愛の苦悩にもどうしても血のにほいがする。

ほんとうに日本人は愛を信じるのか?愛を語れるのか?キリスト教の国での愛にはその背後に神への愛が見える。奉仕的で見返りのない愛。日本人にこの愛を本当に知っている人はいないだろうと思う。近代はヨーロッパで始まった。近代思想はこのキリスト教の思想を継承せざるをえなかったのである。こうして近代思想も近代建築・デザインもキリスト教的になり、禁欲的になった。まるでキリスト教がヨーロッパを、世界を支配して土着宗教を抹殺しつくしたように、近代思想は世界の個性的な文化を一色に染め抜いてしまった。

そして、神の価値観を科学技術の価値観にすり替えて、絶対的なものとして近代の価値はつくられていった。人々はその言葉の歴史の深い意味を知らないで「愛している」と言っている。君はほんとうに愛を知っているのか?そう問いたいと思う。ドン・カルロを観てフットそのことを考えた。

(写真は東京二期会の舞台ではない)

2月 18, 2014

まだまだ中国への誤解が多い。TVや新聞ではどうしても政治や事件しか扱わないから鳥インフルエンザがあれば中国中が危険に見えるし反日デモがあれば中国中、反日感情が吹き荒れているように見える。メディアは相当注意して報道しないとネガティブな感情をどんどん広めてしてしまう。

そこで、僕の回りの具体的な人間像を語ってみることにしたい。

Rさんという人物がいる。今回の旅はその関係の旅だった。彼は40代の恰幅のいい甘いマスクの好漢である。会社は沢山あるからどれが本拠地か分からないのだが医療器具の輸入会社が中心らしい。デザイン会社や工事会社を持っていて、出版をしたりギャラリーを持ったり・・・と文化事業にも手を出している。文化活動というべきかも知れない。

なにせ今回のプロジェクト、天津国際設計週(デザインウィーク)は今年は政府の予算が付かないので彼の私費で開催しようというのだから並のお金持ちじゃない。でも卒業は天津芸術大学。アーティストでもある。

そんな彼が僕を大切にしてくれている。彼のお父さんと僕が同年だというのだ。丑年・・・。父のように思えて・・・と僕の本を読んで作品を知って、その年齢を知ってから特別な態度で接してくれる。車のドアの開閉、エントランス、トイレのドアの開閉まで手を貸してくれる。階段では腕を取って注意を払う・・・。

中国人は家族を大切にする民族である。春節などのいろいろな節では全員、家に戻り、親戚を集めて心を温めあう。稼いだお金から数十万円に相当する金額の元を父や母にプレゼントしたりもする。ある友人はマックを従姉妹にプレゼントしていた。お金を支払うのが大嫌いでなかなか払ってくれないという反面、気に入った人や親族には気前がいい。要するにお金を大切にしているだけである。上海の名園の踏み石がお金の形だったり、ビルがお金の形をしているのは守銭奴というより金の価値を大切にし、平気で表現しているだけのことである。日本人はその大切さをしりながらどこかでお金を汚れたものと思っているきらいがある。でも彼らはお金をてらいなく大切に思っているのだ。

彼と天津で会食する。チェロ奏者で音楽大学で教鞭をとる奥さんと4歳半の男の子と彼と僕のマネージャーと5人での会食だった。育ち盛りだが作法をちゃんと守る少年。そういえばお父さんの彼は食卓に肘をついたりしない。帰りにはレストランの階段を降りるのに4歳半の息子が僕の手を引いてくれた。父を真似たのか父の指示に応じたのかは分からない。

彼は政治家ではないのだが天津の人民大会ではひな壇に並ぶ。毎日のように区長が何人も訪れて都市開発などの仕事の相談をしている。天津は昨年、上海を抜いて一番経済活動が発展した都市だった。巨大なショッピングモールができ都市づくりがすすんでいる。

広州にショッピングモールをもつ富裕族ファミリーの長男が友人にいるのだがその彼と違って英語も話せない。人間性豊かで全身で気持ちを表現しようとしているように見える。

中国との国の関係はぎくしゃくしているのだが、日本人と中国人の一人ひとりの感情は彼に限らずすばらしい交流ができている。もう一人の北京の中国人の社長はこういう。「日本に来たら中国人は全員、日本が大好きになるよ。だから心配ない・・・」と。政治って何だろう?国ってなんだろう?ふっと思う。国を愛する・・と考えたら日本人も中国人もとたんに尖閣列島は自分のものだと対立的感情になる。もう少し、皮膚感覚で中国と日本が感じあうことが大切なのだろう。新聞もTVも皮膚感覚を伝えることができない。

もっともっと訪問し合うことが大切なのだろう。頭ではなく野生的な感覚で人は人と触れあうことが必要なのだろう。

(写真は清水寺でのRさん。身体を縮めて僕より大きく写らないように注意しているのが分かる。そんな気遣いをする男だ)

 

2月 09, 2014

僕の大学院生時代のことだけれど、土地の少ない日本には海上住居がいいのじゃないかとエアテントによる浮上港の計画や海に浮かぶ住宅を構想していた。海を埋めて家を建てるのではなく海のままに家を浮かべればいい、という発想だった。三つの部屋がそのままフロートになって海に浮かびその上にデッキができる。デッキからは釣りだって楽しめる構想にちょっとご自慢だった。

なんの会だったか・・・パーティーがあって紹介されたのが堀江青年が太平洋を単独航海したマーメード号の設計者だった。僕は興奮してこの海上住宅の構想を彼に話した。にこっと笑って、彼は僕に優しく語ってくれたのだが、それは驚愕する内容だった。

海のエネルギーは凄いのだという。巨大なタンカーだって波の波長と舟の大きさが一致してしまうと舟が波の上に乗っかって折れてしまうという。どうしてマーメード号がなんども台風に遭いながら壊れなかったのはまるで木の葉のように翻弄されていたからなのだという。ちいちゃな木の葉が壊れないのは翻弄されるからだと彼は僕を諭してくれた。

どうやら多くの日本人は、いや人間は、思い違いをしている。日本人にとって自然は優しく心を和ませる存在だと思い込んでいる。沸き上がるような発芽に春の訪れを感じ、桜の花に春を見る。蟹や鰹や、様々な魚にその季節の到来を感じてよろこぶ。農耕民族で漁業にも従事する海洋国の日本人は自然の恐ろしさを知らない筈がないのだが、ふっと日常ではその強大な力を忘れている。自然に対して不遜になっている。

東北の被災地で建設しようとしている防波堤の計画を聞いたとき、僕はこの話を思い出した。防波堤のように自然の力に直接的に対応しようとする発想は間違いなのだ。それなのにまだ、あれほど防波堤の脆弱さをしりながらまだ、もっと強固な防波堤なら大丈夫だろうと思っている。自然と人間の関係のあり方をその本質から考えなくてはならないのに、自然の脅威に真っ正面から対抗しようとしている。

柔道だって相手の力を利用して投げる。飛行機だって自然の原理を利用して空を飛ぶ。自然に打ち勝つのではなく自然の欲するままにときに流され、翻弄されながらその力を利用して生き、自分たちの命を守る方法を考えることが大切である。

津波は強大だから街を「山に逃げて」建設するのでもなく、強大だから津波を「防波堤で防ぐ」のでもなく、家や街は津波に流されながら人だけは生き残る方法を考えないのだろうか。命だけは失ってはならないのだから避難の仕組みを完璧にすればいい。津波には「どうぞ!」と来てもらえばいい。津波の好きなようにさせて津波保険で同じ街で新しい街を再建すればいい。そうすれば故郷の山並みは保存できる。故郷のイメージは海と山の端線だろう。水平線と山の端に故郷の記憶が詰まっている。その記憶を継続できる。故郷はこころの避難所の筈である。

僕は災害の直後にブログで書いた。住んでいたところ人家を建てよう・・・とう提案だった。市民の一人ひとりの思いを込めたエネルギーが自分たちの街をつくる・・・それ以外に方法はないと思っていた。でも、被災地はすべて取り上げられた、お上が住民に保護をする構想になった。自分では家が建てられない、自分では復興できない構想になった。その結果はご存じのとおりである。

人間だって自然だ。自然の力は強大である。台風も津波も強大である。強大な自然に流されて・・・強大な市民の力で一人ひとりで復興する、というシナリオが実現できないままになった。人間主義が形式的になって不遜に自然と自然としての人間に立ち向かっている。

日本は中国を越える管理社会である。民主国最大の社会主義国だと言われている。そして、その問題と競い合うように、官僚たちは市民の力に不信感をもっている。

日本人は自然の脅威を忘れている。自然に好きなままに暴れさせながら生き延びる知恵をなくしている。傲慢な人間がはびこっている。人間にとっての自然の意味を今ひとつ深く考えることである。役所の過剰な管理も、市民活動への介入という意味では自然の意味を今一度、考えて見て欲しいと思う。

現代では人間のエゴイズムで自然を破壊している。人間中心主義が間違いなのだ。自然は僕たちの外にあるだけではなく、自分の中にあることを思うといい。自然への畏怖の念を忘れてはならない。

2月 07, 2014

日経電子版に「北京ではカメラが売れなくなった」という記事を見つけた。世界でカメラは売れなくなりつつあると理解できるからその話かと読んでみてびっくりした。その記事を書いた或る経済人はこういうのだ。「北京では空気の汚染で美しい風景写真がとれなくなったからだ」というのである。ほとんど笑い話である。

つい最近までカメラは可愛い息子の成長や楽しい旅の記録のためだった。時が経って思いだし語り合う家族の象徴的存在だった。それが売れなくなった理由はもちろんスマートフォンである。スマートフォンはかめらではない。撮影のために買ったのではない。僕が中国で講演すると真ん前の席で僕にカメラを向けている。あいつ、ちゃんと僕の話を聞いていないなとちょっと不機嫌になる。その内、下を向いてスマートフォンをいじり始める。あいつ、メールしている。こんな講演の最中になんたること・・・と怒りがこみ上げてくる。

回りに聞いてみるとウィチャットをしていたのだろうという。彼は講演する僕の写真をとって「今、黒川雅之の講演会にいる」とウィチャットに送っているのである。沢山の人たちがそれを見て色々反応する。それが瞬く間に中国中に広がるのである。この頃、僕の撮影の動機もそうだ。あいつに見せたいな・・・とかフェースブックで報告しようと撮影する。記録なんかじゃない。自分のための思い出写真じゃない。

カメラはすっかり記録と保存から共感のための道具になった。成長の記録ではなく、自慢であったら感動をその場にない人々に知らせるために使われるよになった。写真映像はメールの文章と同じように通信のコンテンツである。カメラはカメラであって通信機ではないから決して共感の材料にはならない。瞬発的な通信、今の出来事をそのまま人に伝えたいという気持ちに答えることができないのだ。本格的カメラは別として小型のデジタルカメラはもう終焉の商品になった。

スマートフォンは携帯電話ではない。ガラ系といわれて再び、需要が増えてきたのもうなずける。携帯電話の欲しい人はガラ系のほうがずっと便利である。スマートフォンは小型の携帯型コンピュータデバイスなのだ。小さな携帯型コンピュータと思えばいい。だから撮影して送信して会話してと連続して様々なことができる。スマートフォンが普及しても画面の大きさのせいで不満のある人はiPadなどのタブレット端末を買えばいい。こうしてパーソナルコンピュータは売れなくなってソニーはその部門を売却する羽目に陥った。iPhoneやiPadはキーボードもできるけれどなしでも使えるコンピュータだからである。

携帯電話からスマートフォンへの移行は電話からコンピュータへの移行だったのだ。電話にどんなにいろいろな機能を追加してもコンピュータにはならない。携帯電話は携帯電話である。こうして多くのエレクトロニクスの大企業が零落していく。エレクトロニクス技術のさきにはこのデジタルの発想は生まれないのだ。デジタル発想のすごさはデジタル機器が本質的に「オープン」であることだ。カメラがクラウドを利用して、データを保存する仕組みをつくってもカメラはカメラだから保存でしかない。iPhoneやiPadのアプリケーションはほとんどすべてが外部の人間によって生まれている。だれでもiPhoneのアプリケーションを開発して販売できる。最初から発想が「すべての人に解放」されているのである。

スマートフォンやタブレット端末の登場はカメラや携帯電話の世界から見ると破壊的で革命的進歩だったのである。企業体質から人材のすべてを入れ替えなくてはならないほどに破壊的進歩だったのである。

1980年過ぎたころからIT技術が進歩していった。そして今世紀の始めから「情報革命」とも言うべき社会変化が起こっている。18世紀後半から19世紀全般にかけて起こった産業革命が世界の人口を飛躍的に増やし、近代化が進んできたように、情報革命は発展途上国を成長国に変え、世界をグローバルにしてしまったのである。地球規模で同時進行する経済、政治、文化になった。国の利害を云々している時代ではなくなった。アジアやアフリカ、ヨーロッパ、アメリカという文化圏での思索が重要になった。

経済でも文化でも政治でも、これまではヨーロッパとアメリカの二つの軸で動いていたのが、今ではもう一つの軸が生まれている。アジアの軸がそうだ。こうして世界は三つの軸で動く時代になった。

君のポケットに中の小さなスマートフォンが巨大な社会の変化をもたらしてのである。

2月 04, 2014

食欲は生き続けるための本能、性欲は種が世代を重ねるための本能である。自然の仕組みは実に上手くできている。生命の仕組みに継続の力が最初から本能として準備されている。人間がどんなに怠け者でも死ぬこともなく滅びることもない。食欲がなかったら仕事に集中して食べ忘れてしまうだろう。人類も滅びているだろう。

食事は生きられればいいとう訳にはいかない。栄養が足りればそれでいいと言うわけにはいかない。美味しい食べ方があり、美しい食べ方がある。赤坂の砂場には毎月一回はいかないとつらくなるところである。蕎麦もいいが蕎麦の前にいただく酒のつまみ、アサリや焼き鳥、だし巻き卵などが旨い。食べる歓びはお腹を満たすことの上にこの旨いという感動が待っている。そこで飲む酒はますます僕を幸せにしてくれる。

ある日、ヨーロッパ帰りの若者が訪ねてきて砂場にいこうと言うことになった。確か、3,4人で食べたのだと記憶している。食べながら、その若者がこんなことを言い出した。「日本では食事で音を出してもいいのですってね・・・」。いや、そうじゃないんだ。舌鼓を打つというだろ?どんな音でもいいのじゃない。美しい音を出すことなんだよ・・・と蕎麦を箸につまんで食べて見せた。美しい音をだすためには先ず、蕎麦は適量つまみ上げることだ。シュッとすすり込むための適量を見つけてつまみ上げた蕎麦の先をそばつゆに入れシュッと一気にすすり込む。

バチバチという拍手にびっくりした。砂場の女将さんが働く女性たちと一緒に拍手していたのだ。びっくりしたね。きっと女将さんは僕の説明が嬉しかったのだろう。美しい音をだして蕎麦を食べること・・・日本の美意識を語る僕に嬉しくなったのだろう。

中国から客人が時々来る。みんなお金持ちかりっぱな事業家である。でも日本食の正しい食べ方を知らない。中国の日本食レストランでは学ぶすべもないのだろう。そんな客に鮨の食べ方をいつも教える。鮨はカウンター越しの主人と客との戦いなんだ・・・と。最高の鮨を握ってポンと出す。その瞬間に客はすっとそれを口に入れる。どうだ!旨いか!と出した握りをぱくっと食べて知らぬ顔をする。これは旨いという表現だ。握りや吸い物をカウンターに貯めて酒や会話に集中している輩がいると僕は腹が立つ。カウンターは戦場だ、命かけて握っている鮨職人への敬意はどこで表現するのだ。

握りの持ち方と醤油の漬け方も大切だ。箸ではなく、手で摘まんでネタにだけ醤油をつける。そのネタが舌に触れるように握りを裏返して口に入れる。決してシャリの側を舌に載せてはいけない。かすかな醤油とネタの味・感触を舌が先ず感じる、そして香りが口内から鼻に抜けるのを楽しむ。噛んで味を確かめる。同じ鮨がずっと美味しくなる。かすかな音楽に耳を傾けるようにかすかな香りも味も逃さないで鮨を味わう。

蕎麦のつゆを蕎麦の先にちょっとだけつけるのはかすかな蕎麦の香りと味を感じるためだ。そのあとでつゆの味が口の中で追いかけてくる。蕎麦とつゆのダブルイメージがオーケストラのように口の中に広がる。建築の空間も照明の設計もこんな要領でデザインしている。

蕎麦とそばつゆで思い出すのはエスプレッソの美味しい飲み方である。昔、TVの取材でポンペイの秘儀図を訪れたことがある。まだ発掘作業をしている土工事をする職人が僕たちクルーを見つけてエスプレッソをご馳走してくれたのである。数人いたイタリア人たちはどさっと砂糖をカップいっぱいに入れてまるでコーヒー付けの砂糖にして飲んでいる。

東京に帰ってからいろいろ試みてみた。一番美味しい飲み方はザラメの砂糖をコーヒーに入れて、かき回さないままにすすることである。最初はコーヒーの香りと苦みが口の中に広がり、遅れて砂糖の甘さがチッと口の中に入ってくる。これも味覚のオーケストラだ。

こうして、いろいろな飲食の仕方を探っていると美味しい頂き方が実は美しい頂き方に繋がっていることに気づかされる。そしてそれが同時に作法になっていることにびっくりする。

こうして食欲は文化を生み出していったのだろう。動物にはない、美しさの追求がおいしさの追求になり共存の作法にまで高まっていくのだろう。性欲にも食欲とどうように文化への発展がある。生殖だけではなく、美しさを求めて性は一つの文化になっていく。嬉しいことである。

(写真は僕の作品。撮影は夏書亨さん)

2月 02, 2014

なにが正しいかを語ることはなかなか難しい。これが正しいと主張するときには価値の基準がはっきりしていなければならない。ほとんどの日本人は自分の行いを正しいことと言いながら判断の基準を持っていない。いわば勝手に自分の基準で正しいと言っている。

それでいいのだと僕は思う。人間は価値を探しながら彷徨い生きているのだから、正しいことが何か分かっている筈はない。探しながら生きている。おそらく死ぬまで分からないままなのだろう。

 

それにしても何かの物差しがなくては人生のすべてに自信が生まれない。この日本人、或いはアジア人といってもいいのだが、僕たちが生きている基準は自然なのだろうと思う。物差しは自然なのだ。そしてその本当の意味は美しいことが基準なのだと思う。

西方の人たちが神の基準で「正しく」生きているのだとしたら、我々東方人は「美しく」生きようとしている。この美しく生きると言うことは、考えて見ると様々なところで発見できる。武士が切腹するのは武士道に従ってのことなのだが決して詫びるためではない。間違ったことをしたからではない。武士は美しく生きるために腹を切ったのである。三島由紀夫の切腹もそうである。恋いを許されず入水自殺する解決も美の実現の他にない。どうやら美の究極は死にあるらしい。

 

西方の人たちが哲学を持っているとすると僕たちは美意識を持っている。美とは自然の秩序に従うことなのだから美意識とは自分が感じる「生命的な感覚」や「ここちよい感覚」と考えればいいだろう。美という感動のために生きている我々は幸せものである。僕は理論さえ美しくなくてはならないと思っている。思想さえ美しくなくてはならない。美は究極の価値なのだ。美は神のようなものである。

 

仏教では仏は自分の中にいる。或いは自分の中に育てようとする。西方のように神が自分や世界をつくったのではないから、我々ははじめからひとりぼっちである。仏さえ自分の中に育てるのだ。自分の中に他者を見つけたりする。人類だって自分の中にいる。僕たちの思想からは特定の創造者はいなくて、自然がすべてである。そしてその自然も自分の外にではなく自分の内にある。自分自身も自然なのだからそういうことになる。

 

キリスト教やイスラム教の人たちが正しい行いをしようとするときにはちゃんと神の定めた価値が背景にある。価値が自分の外に確固たる思想の背景をもって決まっているからイスラムならジハードという自爆ができるし、キリスト教なら神の好む行いがしっかりと見えているから「正しさ」を基準にした生活も可能だし確信を持って行動できる。

仏教の場合にはそれほど簡単ではない。仏教の仏は自分の中にいるのだから言うならばすべては自分で決めるのである。・・・君が煩悩と戦い悟るようにすべては自分の心に中に価値の基準があることになる。

 

自己を大切にする。自我を大切にする西欧人よりも東方人の方がずっと自己を頼りにして生きている。デカルトの「我思う故に我有り」とはまさに何を今頃・・・と思うほどに神の存在が先にあり神の創作としての人間という思いが心の深部にあるからだろう。僕たちには当たり前にすべてを自分で思い自分で感じて生き方を探している。

美を基準とするためには自分の美の基準を探さなければならない。孤独なのは我々である。そして、同時に僕たちほど他者と融合した存在はない。他者は自分の中に生きているからである。

正しいことのために僕は死ぬ気はないが、美のためなら死ねるというのはここから来ている。自然体で生きられるのも美を基準としているからである。僕は美を探すために明日も生きている。

 

僕たちは西洋人にはない特異な能力を持っている。それは「物を見ないで物が発する気を見る能力」である。気が見えるから間が見える。この能力も美を、自然を基準としているからである。全神経を皮膚に集中して物が発する気というエネルギーを感じ止めることができる。人や物との間合いを計って行動することができる。これは野生の感覚である。自分の中に自然があるからだろう。

2月 02, 2014

君なら好いた女性になんていう?「好いてるよ」なんていい感じだ。「好きだよ」、「結構、気に入ってる・・・」も悪くない。でも、なかなか「愛してる」というセリフを吐く状況が見えてこない。そこはきっとメルヘンチックな環境か、西洋の街角でなきゃしっくりこない。「愛」は始末の悪い言語で或る。

愛は奉仕的で見返りを求めないものであるらしい。一方的な愛である。愛はだから男女の間ではロマンチックでも現実的ではない。愛してあげたのだから愛してくれなくっちゃだめだ・・・というのでは愛じゃない。愛には沸き上がる感覚がある。それがまた感動的で人々の心を刺激するのだろう。愛は憎しみに変わったりもする。要するに愛は能動的なのだ。愛されなくても愛し、状況が変われば、殺したくもなったりする感情である。

これは結構、やばい。やはり、「好いてる」方がいい。好いているから好いて欲しいし、別れられなくなったりする方がいい。愛は憎しみになり殺したくなる感情だが、好きな人との関係は殺人ではなく情死になる。時にはわら人形に五寸釘を打つことになったとしても殺人には繋がりにくい。

愛には「愛する」という動詞がり、愛さなければ愛は生まれない。愛してたのが憎しみに変わるのは愛が能動的だからである。愛することは人の意思で決まる。愛さないことだってできる。憎しむことにだって変わることができる。実は「好いている」という感情の裏に「情」が裏打ちされている。さほど能動的でなくても「好きになる」のはその心の内底に人への「情」が潜んでいる。

「好き」がそのまま情ではないのだが、好きの感覚はまるでそよ風のような穏やかな感情の起伏である。「好かない」も「嫌い」ではない、好かないのである。

愛情は愛と情でつくられている。愛と異なるもう一つの概念、「情」には動詞がない。情を感じることはあっても「愛する」ように能動的ではないからである。愛することは止めることができるが情は切れない。切ろうとしても切れないから情には流されやすい。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」。これは夏目漱石の「草枕」の冒頭のセリフである。愛は人を拘束しないが情は人を拘束する。能動的じゃなくむしろ生まれてから今日までずっと流れていた感情というべきだろう。同じ人間だから路傍で苦しんでいる人がいれば手をさしのべるし、見知らぬ人の苦しみを聞いて情を動かすことだってある。

情は人に中に原始時代から根付いている感情である。容易なことでは抜け出せない。愛は大きさで評価する。「あの人の愛は大きい・・・」と。情は深さで評価する。愛の大きさは偉大なことだけれど、情の深さは逃れられない人の性を思ったりする。愛は美しく太陽のようなのだが、情の美しさは悲しさも含んでいて月のようである。悲しい美しさということだろう。

愛は西洋のキリスト教が生み出した感覚なのだろう。「神への愛」が愛の出発点だったのだろう。そこから「人への愛」が生まれてきた。だから奉仕的であり見返りを求めない感情になる。近代以後、この愛の概念が世界に広がることになった。神の時代から人間の時代(近代)になって神は科学的な価値や人間の価値に置き換えられてきた。だから人への愛は近代思想の中心に据えられてきた。人が自分の心の奥底をのぞき込むとき、そこにあるのは愛ではなく情が見えてくるのだろう。

愛を否定するつもりはないのだが、愛はキリスト教の思想の延長だとだけは主張しておきたい。キリスト教は太陽が象徴だが、東方の美意識では月が美しい。月は太陽のように能動的に輝いてはいない。この受動的な、根源的な光を東方の人々は好んでいる。中国人に「愛」の概念は昔からあるのかと聞いてみたのだがないという。愛は近年になって使われるようになっただけだという。

愛におぼれることはない。愛は愛し続けなくてはならない。情には簡単におぼれることになる。逃げ出せないのだ。憎しみに変わるかも知れない愛を君はまだ欲しいのか?深い情にとらわれて切れない絆で結ばれたいのか?絆とは愛ではなく情がつくる。情は積極的な関係ではなく切れない関係である。

「好いている」。ここには爽やかな風のような心地よい感情がある。そっと情の深淵を覗き込みながら「好いて」いたい。

(写真は中国の長寿村「巴馬」)