6月 12, 2011

もう一度整理して書くことにする。

1_いつか未来の或る日、気仙沼を訪ねて嬉しくなる風景ってなんだろう?もう一度、東北にしかない風景が再生していることだろう。海を背景にして人々が海に接して生き,仕事をしている風景だろう。いかにも気仙沼の、ずっと前からの風景がそのまま生き生きと今の姿になっていることだろう。決して現代建築かのどこにあってもおかしくない街が気仙沼を埋め尽くしている風景じゃないことである。フランク・ロイド・ライトが「建築はそのに生えた樹木のようでなくてはならない」といったように、気仙沼には気仙沼の文化を吸い取って生えて来た建築でなくてはならない。それは「継続性」ということだ。

 

新しい思想が新しい生活が始まる,挑戦的な街づくりでありたいことに変わりはない。それでも気仙沼の文化とは継続的でなくてはならない.挑発的な姿勢でもいい「気仙沼の文化への敬意」をもって挑発をするべきだ。そのためには先ず、気仙沼の人々の心の中の風景から出発することである。バードビューで全体を見下ろすのではなく、気仙沼に住んで来た人々の目線から,その人々の心象風景から出発するのでなくてはならない。

 

今、災害地の問題は多様化している。その上、今、彼らが求めているのは「生活を開始すること」である。男は仕事を始めたい。女も女の仕事を始めたい。もう一刻も早く被災者から脱出したい。普通の生活を始めたいのが被災した地域の現状である。

もう一つ、今、被災地域は拡大している。地震から始まって津波になった。津波は多くの工場を破壊して日本全体の生産システムをおかしくした。東日本大地震は日本人すべてを被災者にした。

津波はまた原子力発電を破壊した。放射能の危険は世界に警告を発することになった。日本の放射能もれのために日本の農作物が避けられるだけではなく、原子力発電そのものへの不信が世界のエネルギー問題を再燃させた。沢山のエネルギー問題を世界に拡げることになった。もう被災地は世界に広がったといってもいい。

新しい時代を構築する必要がある。

問題は一人ずつの問題となった。どう判断しどう生きるかを一人一人が考え,判断する時代になった。

自分の街づくりも自分で考えつくる時代になった。自分の風景として自分自身を納める、「自治」の時代になった。地方の自治の前に自己を納める「自治」が必要になった。ボランティアースピリッツが求められる。「自発的精神」が求められる。

 

そんな時代を背景にして、気仙沼の街づくりは先ずソフトな街づくりから始めるべき時だろう。自分の目線から自分だけの見える風景を描くのである。

自分の敷地に家を建てるべきだ。再び、津波が来ても生き延びる施設はつくるのだが家は流されていい。江戸の街は7年に一回の大火があったそうだ。燃えても燃えても再建する「懲りない人間」であるべきだ。30年程で津波が来てもいい.流されてしまえばいい。日本人の無常観は自然との一体感から来ている。死さえも生とどうように美しいと考える文化は恒久的な自然に負けない街をつくることではない。流される街をつくることだ。ここで大切なことは以下のポイントである。

先ず、絶対に死なない仕組みをつくることだ。街はすべて流されても人に命は一人も失わない街をつくることである。そして、流された街をもう一度、再建する資金を保険制度によって確保することである。この二つの大前提をもとに「津波という自然に寄り添い、津波の脅威を柳に風とやり過ごす思想」を街として実現することである。

全体に失わない命と流される街の構築はこうすればいい。

 

2_津波から逃げるために誰でも上に逃げようとする。山に,高台に逃げる、高層階に逃げる・・・これが普通である。しかし,津波の高さは計画を遥かに越えることがおおい。今回も三階まで逃げればいいと思った人々が全員命を奪われた。どこまで逃げればいいか分からない。津波はその高さの限界を示してはくれない。

上に逃げる避難は多くの人々を捨てることにつながる。老人はどうなる? 身障者はどうなる? 子供はどうなる? 弱者を切り捨てることになる。避難のためのビルを考えたとしてもエレベーターは地震と共に止まる。歩いて階段を上るしかない。その退避ビルまで走って逃げて,たどり着いてから又階段を昇る老人や幼児のイメージを描いて見たか!

地下の避難施設をつくるべきである。

波は地上を這うように進む。山はえぐるけれど平地はえぐらない。津波は防波堤やコンクリートの建物にぶつかって激しさを増すけれど,平地はただ駆け上るだけで破壊をしない。地震で起こる地盤沈下だけは考えなくてはならない。しかしそれも今回の経験からはほんの70センチ程度だ。地下室は安全な施設になる。

高台への避難は相当な距離になる。高層階への避難には相当なエネルギーを必要とする。しかし、地下室への避難は簡単である。先ず、小さい地下室を一つの家に一つか数軒に一つつくればいい。車椅子でも簡単に移動できる。地下室には滑り台で降りればいい。老人でも幼児でも・・・重い荷物でも電力なしで降ろすことが出来る。