8月 28, 2011

 

「私塾は幕府や藩が設置した教育機関とことなり、一定の枠にはまらず、塾主の個性と有志者の自発性を基盤として発展した教育機関である」。ウィキペディアには私塾についてこう書いてあります。

僕は同じ考えで「黒川雅之のデザイン塾」を2012年の1月から始めます。いくつかのデザインの大学に関係し、現在でも教えている身ですが、教育の現場は決して健全とは言えません。文科省の過剰な干渉のせいもあります。一部の教授達を除いて多くの教授陣が第一線でデザインをしていません。愛情一杯に学生を教えていても生活の背景にデザインの苦悩も悲哀も歓びも希薄です。

デザインはどう生きるかを考えることです。デザインは生き方を探し、美を探す手段です。デザインはサービス行為ではありません。デザインは自分のためにするものです。気付いたら多くの人に役立っていてもデザインの目指すものは本当の,優れた「作家」や「芸術家」や「事業家」や「政治家」がそうしているように「真実をさがし、美を探し、どう生きるかを探す」のがデザインです。

そうしてこそ,人のために役立ちます。企業や社会のためにデザインが生き生きとし始めるのです。

K塾は「人生を考える交流の場」です。この「デザイン塾はデザインを通じて人生を考える教育の場」です。K塾はいろいろな人たちが出入りしています。僕の知らない人も人づてに来てくれます。口コミですから40名や50名がいつも集まり、若い女性達が半分以上という華やかな会です。でも、デザイン塾は真剣にデザインはどうあるべきかを探したい人が来ます。デザインの方法やデザインの思想を僕が伝える場です。デザインの大学院と考えてください。

きっと、企業の商品開発のためのいいヒントもそこで得られるでしょう。人生を見つめ、美を探すための勉強ですから自ずから「人間/消費者は何を求めているか」を知ることになるでしょう。美とは何かを考えているとは感動とは何かということです。人間/消費者は感動を求めて生きています。それなら感動をさがすことが社会や企業の利益にもなりデザイナーの知恵を深めることにもつながるでしょう。

デザインは如何に生きるかを知る方法だからこそ、深い議論や交流を塾生と塾主は交わすことになります。あるべき教育を人生の終焉が近づいた今、始めることは僕の人生のまさに設計図通りです。

これまで先輩達に多くのことを教わりました。僕の次の人生は、もちろんデザインを継続しながら、若者達に僕の中の血や肉を分け与えていく時代になりました。

一緒に美を探しましょう。一緒にデザインとはなにかを探しましょう。

待っています。

黒川雅之