12月 04, 2013

人生は呼吸だな。人間関係も呼吸が合わないとだめだし・・・。創作も呼吸を知るといい作品ができる。肺だけではないね。心臓だってどくどく、どくどくと呼吸のように動いている。ファンのように連続的に血液を送っているのじゃない。心臓の筋肉は縮んで伸びて、縮んで伸びてを繰り返している。

呼吸は酸素を吸い込むのだけが目的なではないのだ。酸素を吸って、その帰りに二酸化炭素をはき出している。往復で別々の仕事をしているのだ。生命は酸素を連続的に吸ってどこか別の口から二酸化炭素を連続的に排出する・・・という仕組みをなぜ選ばなかったのだろう。実に巧妙にできている人間の仕組みだから何かの理由がきっとあるのだろう。

スポーツだって呼吸である。スウィングする時、ゴルフクラブでも野球のバットでもぐっと引いてからばしっと打つ。車輪じゃない、左右の二本の脚で走る人間もひだりみぎ、左右と繰り返しの動作だ。ジェットエンジンや車の車輪のように連続的ではない。この繰り返す動作で心臓が動き、呼吸して酸素を供給し、歩いている。

考えてみれば地球上での人生もそうだ。夜がきて朝が来る。陽が沈み、陽が昇る。人間も眠り起きる。働き、休息する。なぜ、ピストンエンジンのように繰り返すことで人生が動いているのだろう。マツダのロータリーエンジンは連続的だった。だから間違ったのだろうか?生命が繰り返しなのにエンジンが車輪のように連続的では生命の原理に反するのだろうか?

本当に幸せな瞬間は続かない。幸せは不幸が前提にあるからだろう。空腹なときだけ食事が美味しい。満腹じゃどんな料理も美味しくはいただけない。腹がへりおなかを満たす。誰かからお金をいただいても、いっぱい持っていたら歓びは小さいけれど貧乏しているときは嬉しい。だから幸せは不幸を前提として成り立っている。不幸があるからがんばれる。

だからスティーブジョブスがWhole Earth Catalogから引用した「Stay hungry, stay foolish」というセリフが意味を持つようになる。人生はピストンエンジンのように繰り返しなのだ。生命は連続的ではなく断続的なのだ。生命自体、生まれて死を迎える。生成して破綻し、破壊されて再び、再生する。宇宙も継続的ではないのだろう。

この断続性という生命の原理、宇宙の原理はたくさんの人生の教訓にも繋がっている。いつまでも幸せなんてないのだ。不幸だからこそ幸福が訪れる。死を意識してこそ生が見えてくる。破壊こそ創造のもう一つの形だ・・・・そう、いつか生前、杉浦日向子さんは「死はもう一つの生き方のかたちよ」と言っていた。自分の死を意識していたのだろう。

釈迦は苦行をして最後に涅槃の境地を手に入れる。悟りを開いたのだ。それなのに、涅槃は死をも意味している。悟りという最高の境地は死でもある。武士は美を完成させるために切腹した。三島由紀夫もまた美を完成させるために切腹をしている。死は究極の美なのだろう。

生命は呼吸している。宇宙も呼吸している。人生も呼吸なのだ。

宇宙は断続的である。生活も、事業も、生命も・・・。