12月 30, 2013

人生を歩くという。歩くは常に活動する人間の普通の姿を表している。人生は走ってはいけない。人生は立ち止まってもいけない。いけないというより立ち止まることができないのだ。

筋肉も骨も身体全体が止まることをよろこんではいないようだ。じっとしていると身体が固まってしまう。やはり動いているのがいい。いつも何かを考え、動いているのがいい。人生を歩いているのがいい。

人生は立ち止まっているように見えても、実は動いている。常にことなる状況が訪れて明日は今日と同じではない。2014年はきっと新しい光景が顕れるだろう。それに対応して僕の心も変化する。

もう何年も前のことなのだが、文化デザインフォーラムで白虎社がダンス教室を開いてくれた。初心者向けのダンス教室である。野獣のように動きなさいというのである。ダンスの基本は野獣の動きだという。自分がライオンになったような気分で身体を動かすと身体の全部が動き始める。いかに人間の普通の動作は全身性を失ってしまっているかに気づかされる。

これは僕が歩きながら発見した歩き方と似ていることに気づいた。そしてまた、NHKがいつか番組で語っていた肩の凝らない歩き方とも似ている。

簡単にいうと「野獣の動き」なのだが、もう少し解説すると「競歩のような歩き」ということになる。「腰を入れて歩く」と言ってもいい。人間は二足歩行になることでいろいろな矛盾を背負うことになった。内蔵の下垂もそうだが胸に感じる不安だってそうである。立つことで地面に守られていた胸が露出して胸に不安感を感じるようになったのだろう。

野獣を見ると、いや猫だって犬だっていい。観察すると人間と明らかな相違は「腰を入れて歩いている」し「肩甲骨までを動かして」手を運んでいる。「競歩のように歩く」とそんな動きになる。まるで手足のストレッチしながら歩いているようになる。

NHKの番組では「いつもより7㎝ほど歩幅を大きくして歩きなさい」というものだった。そうすれば競歩のようになる。要するに二足歩行になって人間は足と手を軽く動かすだけになってしまったのである。

僕は野獣のように歩くことで肩こりがなくなった。いつも腰の上や肩甲骨が凝っていたのだがそれがすっかりなくなった。人間は人間になることで身体も心も楽をするようになった。平坦な道路を歩き、安全の確保された環境で緊張感なしで動き回れるようになった。作法があるからチケットを手に入れるためにも行列をつくって争うことがなくなった。官僚たちが法律をつくって安心安全な街作り、家造りをするから注意深く行動する必要もなくなった。

人間社会は気づけば管理されて野生的感覚を必要としなくなっていた。野生の喪失である。僕は今、どうしたら野生を取り戻せるかを考えている。人間や環境や時代を野性的に感じる能力を育てたいと思っている。僕の中に眠ってしまっているこの野生を呼び戻すことでこの複雑な時代を乗り切る力を得たいと思っている。

未来は読めない時代になった。あまりにも激しく変化し、多様な価値の共存する時代を生きるためには組織的判断や科学的判断では間に合わない。未来を読むより未来を願う強い願望の力が必要になった。野性的感覚で人のこころや時代の空気を感じる生き方が求められるようになった。人間は平等だ・・・などと主張しているだけでは生きられない時代になった。自分で自分の生活をつくることが大切になった。競争の力を培う時代になった。異なる文化が争いながら共存する時代になった。お互いの尊厳を認めながら競争する共存時代になった。

心にも体にも野性的な能力を育てたい。