2月 09, 2014

僕の大学院生時代のことだけれど、土地の少ない日本には海上住居がいいのじゃないかとエアテントによる浮上港の計画や海に浮かぶ住宅を構想していた。海を埋めて家を建てるのではなく海のままに家を浮かべればいい、という発想だった。三つの部屋がそのままフロートになって海に浮かびその上にデッキができる。デッキからは釣りだって楽しめる構想にちょっとご自慢だった。

なんの会だったか・・・パーティーがあって紹介されたのが堀江青年が太平洋を単独航海したマーメード号の設計者だった。僕は興奮してこの海上住宅の構想を彼に話した。にこっと笑って、彼は僕に優しく語ってくれたのだが、それは驚愕する内容だった。

海のエネルギーは凄いのだという。巨大なタンカーだって波の波長と舟の大きさが一致してしまうと舟が波の上に乗っかって折れてしまうという。どうしてマーメード号がなんども台風に遭いながら壊れなかったのはまるで木の葉のように翻弄されていたからなのだという。ちいちゃな木の葉が壊れないのは翻弄されるからだと彼は僕を諭してくれた。

どうやら多くの日本人は、いや人間は、思い違いをしている。日本人にとって自然は優しく心を和ませる存在だと思い込んでいる。沸き上がるような発芽に春の訪れを感じ、桜の花に春を見る。蟹や鰹や、様々な魚にその季節の到来を感じてよろこぶ。農耕民族で漁業にも従事する海洋国の日本人は自然の恐ろしさを知らない筈がないのだが、ふっと日常ではその強大な力を忘れている。自然に対して不遜になっている。

東北の被災地で建設しようとしている防波堤の計画を聞いたとき、僕はこの話を思い出した。防波堤のように自然の力に直接的に対応しようとする発想は間違いなのだ。それなのにまだ、あれほど防波堤の脆弱さをしりながらまだ、もっと強固な防波堤なら大丈夫だろうと思っている。自然と人間の関係のあり方をその本質から考えなくてはならないのに、自然の脅威に真っ正面から対抗しようとしている。

柔道だって相手の力を利用して投げる。飛行機だって自然の原理を利用して空を飛ぶ。自然に打ち勝つのではなく自然の欲するままにときに流され、翻弄されながらその力を利用して生き、自分たちの命を守る方法を考えることが大切である。

津波は強大だから街を「山に逃げて」建設するのでもなく、強大だから津波を「防波堤で防ぐ」のでもなく、家や街は津波に流されながら人だけは生き残る方法を考えないのだろうか。命だけは失ってはならないのだから避難の仕組みを完璧にすればいい。津波には「どうぞ!」と来てもらえばいい。津波の好きなようにさせて津波保険で同じ街で新しい街を再建すればいい。そうすれば故郷の山並みは保存できる。故郷のイメージは海と山の端線だろう。水平線と山の端に故郷の記憶が詰まっている。その記憶を継続できる。故郷はこころの避難所の筈である。

僕は災害の直後にブログで書いた。住んでいたところ人家を建てよう・・・とう提案だった。市民の一人ひとりの思いを込めたエネルギーが自分たちの街をつくる・・・それ以外に方法はないと思っていた。でも、被災地はすべて取り上げられた、お上が住民に保護をする構想になった。自分では家が建てられない、自分では復興できない構想になった。その結果はご存じのとおりである。

人間だって自然だ。自然の力は強大である。台風も津波も強大である。強大な自然に流されて・・・強大な市民の力で一人ひとりで復興する、というシナリオが実現できないままになった。人間主義が形式的になって不遜に自然と自然としての人間に立ち向かっている。

日本は中国を越える管理社会である。民主国最大の社会主義国だと言われている。そして、その問題と競い合うように、官僚たちは市民の力に不信感をもっている。

日本人は自然の脅威を忘れている。自然に好きなままに暴れさせながら生き延びる知恵をなくしている。傲慢な人間がはびこっている。人間にとっての自然の意味を今ひとつ深く考えることである。役所の過剰な管理も、市民活動への介入という意味では自然の意味を今一度、考えて見て欲しいと思う。

現代では人間のエゴイズムで自然を破壊している。人間中心主義が間違いなのだ。自然は僕たちの外にあるだけではなく、自分の中にあることを思うといい。自然への畏怖の念を忘れてはならない。

2月 07, 2014

日経電子版に「北京ではカメラが売れなくなった」という記事を見つけた。世界でカメラは売れなくなりつつあると理解できるからその話かと読んでみてびっくりした。その記事を書いた或る経済人はこういうのだ。「北京では空気の汚染で美しい風景写真がとれなくなったからだ」というのである。ほとんど笑い話である。

つい最近までカメラは可愛い息子の成長や楽しい旅の記録のためだった。時が経って思いだし語り合う家族の象徴的存在だった。それが売れなくなった理由はもちろんスマートフォンである。スマートフォンはかめらではない。撮影のために買ったのではない。僕が中国で講演すると真ん前の席で僕にカメラを向けている。あいつ、ちゃんと僕の話を聞いていないなとちょっと不機嫌になる。その内、下を向いてスマートフォンをいじり始める。あいつ、メールしている。こんな講演の最中になんたること・・・と怒りがこみ上げてくる。

回りに聞いてみるとウィチャットをしていたのだろうという。彼は講演する僕の写真をとって「今、黒川雅之の講演会にいる」とウィチャットに送っているのである。沢山の人たちがそれを見て色々反応する。それが瞬く間に中国中に広がるのである。この頃、僕の撮影の動機もそうだ。あいつに見せたいな・・・とかフェースブックで報告しようと撮影する。記録なんかじゃない。自分のための思い出写真じゃない。

カメラはすっかり記録と保存から共感のための道具になった。成長の記録ではなく、自慢であったら感動をその場にない人々に知らせるために使われるよになった。写真映像はメールの文章と同じように通信のコンテンツである。カメラはカメラであって通信機ではないから決して共感の材料にはならない。瞬発的な通信、今の出来事をそのまま人に伝えたいという気持ちに答えることができないのだ。本格的カメラは別として小型のデジタルカメラはもう終焉の商品になった。

スマートフォンは携帯電話ではない。ガラ系といわれて再び、需要が増えてきたのもうなずける。携帯電話の欲しい人はガラ系のほうがずっと便利である。スマートフォンは小型の携帯型コンピュータデバイスなのだ。小さな携帯型コンピュータと思えばいい。だから撮影して送信して会話してと連続して様々なことができる。スマートフォンが普及しても画面の大きさのせいで不満のある人はiPadなどのタブレット端末を買えばいい。こうしてパーソナルコンピュータは売れなくなってソニーはその部門を売却する羽目に陥った。iPhoneやiPadはキーボードもできるけれどなしでも使えるコンピュータだからである。

携帯電話からスマートフォンへの移行は電話からコンピュータへの移行だったのだ。電話にどんなにいろいろな機能を追加してもコンピュータにはならない。携帯電話は携帯電話である。こうして多くのエレクトロニクスの大企業が零落していく。エレクトロニクス技術のさきにはこのデジタルの発想は生まれないのだ。デジタル発想のすごさはデジタル機器が本質的に「オープン」であることだ。カメラがクラウドを利用して、データを保存する仕組みをつくってもカメラはカメラだから保存でしかない。iPhoneやiPadのアプリケーションはほとんどすべてが外部の人間によって生まれている。だれでもiPhoneのアプリケーションを開発して販売できる。最初から発想が「すべての人に解放」されているのである。

スマートフォンやタブレット端末の登場はカメラや携帯電話の世界から見ると破壊的で革命的進歩だったのである。企業体質から人材のすべてを入れ替えなくてはならないほどに破壊的進歩だったのである。

1980年過ぎたころからIT技術が進歩していった。そして今世紀の始めから「情報革命」とも言うべき社会変化が起こっている。18世紀後半から19世紀全般にかけて起こった産業革命が世界の人口を飛躍的に増やし、近代化が進んできたように、情報革命は発展途上国を成長国に変え、世界をグローバルにしてしまったのである。地球規模で同時進行する経済、政治、文化になった。国の利害を云々している時代ではなくなった。アジアやアフリカ、ヨーロッパ、アメリカという文化圏での思索が重要になった。

経済でも文化でも政治でも、これまではヨーロッパとアメリカの二つの軸で動いていたのが、今ではもう一つの軸が生まれている。アジアの軸がそうだ。こうして世界は三つの軸で動く時代になった。

君のポケットに中の小さなスマートフォンが巨大な社会の変化をもたらしてのである。

2月 04, 2014

食欲は生き続けるための本能、性欲は種が世代を重ねるための本能である。自然の仕組みは実に上手くできている。生命の仕組みに継続の力が最初から本能として準備されている。人間がどんなに怠け者でも死ぬこともなく滅びることもない。食欲がなかったら仕事に集中して食べ忘れてしまうだろう。人類も滅びているだろう。

食事は生きられればいいとう訳にはいかない。栄養が足りればそれでいいと言うわけにはいかない。美味しい食べ方があり、美しい食べ方がある。赤坂の砂場には毎月一回はいかないとつらくなるところである。蕎麦もいいが蕎麦の前にいただく酒のつまみ、アサリや焼き鳥、だし巻き卵などが旨い。食べる歓びはお腹を満たすことの上にこの旨いという感動が待っている。そこで飲む酒はますます僕を幸せにしてくれる。

ある日、ヨーロッパ帰りの若者が訪ねてきて砂場にいこうと言うことになった。確か、3,4人で食べたのだと記憶している。食べながら、その若者がこんなことを言い出した。「日本では食事で音を出してもいいのですってね・・・」。いや、そうじゃないんだ。舌鼓を打つというだろ?どんな音でもいいのじゃない。美しい音を出すことなんだよ・・・と蕎麦を箸につまんで食べて見せた。美しい音をだすためには先ず、蕎麦は適量つまみ上げることだ。シュッとすすり込むための適量を見つけてつまみ上げた蕎麦の先をそばつゆに入れシュッと一気にすすり込む。

バチバチという拍手にびっくりした。砂場の女将さんが働く女性たちと一緒に拍手していたのだ。びっくりしたね。きっと女将さんは僕の説明が嬉しかったのだろう。美しい音をだして蕎麦を食べること・・・日本の美意識を語る僕に嬉しくなったのだろう。

中国から客人が時々来る。みんなお金持ちかりっぱな事業家である。でも日本食の正しい食べ方を知らない。中国の日本食レストランでは学ぶすべもないのだろう。そんな客に鮨の食べ方をいつも教える。鮨はカウンター越しの主人と客との戦いなんだ・・・と。最高の鮨を握ってポンと出す。その瞬間に客はすっとそれを口に入れる。どうだ!旨いか!と出した握りをぱくっと食べて知らぬ顔をする。これは旨いという表現だ。握りや吸い物をカウンターに貯めて酒や会話に集中している輩がいると僕は腹が立つ。カウンターは戦場だ、命かけて握っている鮨職人への敬意はどこで表現するのだ。

握りの持ち方と醤油の漬け方も大切だ。箸ではなく、手で摘まんでネタにだけ醤油をつける。そのネタが舌に触れるように握りを裏返して口に入れる。決してシャリの側を舌に載せてはいけない。かすかな醤油とネタの味・感触を舌が先ず感じる、そして香りが口内から鼻に抜けるのを楽しむ。噛んで味を確かめる。同じ鮨がずっと美味しくなる。かすかな音楽に耳を傾けるようにかすかな香りも味も逃さないで鮨を味わう。

蕎麦のつゆを蕎麦の先にちょっとだけつけるのはかすかな蕎麦の香りと味を感じるためだ。そのあとでつゆの味が口の中で追いかけてくる。蕎麦とつゆのダブルイメージがオーケストラのように口の中に広がる。建築の空間も照明の設計もこんな要領でデザインしている。

蕎麦とそばつゆで思い出すのはエスプレッソの美味しい飲み方である。昔、TVの取材でポンペイの秘儀図を訪れたことがある。まだ発掘作業をしている土工事をする職人が僕たちクルーを見つけてエスプレッソをご馳走してくれたのである。数人いたイタリア人たちはどさっと砂糖をカップいっぱいに入れてまるでコーヒー付けの砂糖にして飲んでいる。

東京に帰ってからいろいろ試みてみた。一番美味しい飲み方はザラメの砂糖をコーヒーに入れて、かき回さないままにすすることである。最初はコーヒーの香りと苦みが口の中に広がり、遅れて砂糖の甘さがチッと口の中に入ってくる。これも味覚のオーケストラだ。

こうして、いろいろな飲食の仕方を探っていると美味しい頂き方が実は美しい頂き方に繋がっていることに気づかされる。そしてそれが同時に作法になっていることにびっくりする。

こうして食欲は文化を生み出していったのだろう。動物にはない、美しさの追求がおいしさの追求になり共存の作法にまで高まっていくのだろう。性欲にも食欲とどうように文化への発展がある。生殖だけではなく、美しさを求めて性は一つの文化になっていく。嬉しいことである。

(写真は僕の作品。撮影は夏書亨さん)

2月 02, 2014

なにが正しいかを語ることはなかなか難しい。これが正しいと主張するときには価値の基準がはっきりしていなければならない。ほとんどの日本人は自分の行いを正しいことと言いながら判断の基準を持っていない。いわば勝手に自分の基準で正しいと言っている。

それでいいのだと僕は思う。人間は価値を探しながら彷徨い生きているのだから、正しいことが何か分かっている筈はない。探しながら生きている。おそらく死ぬまで分からないままなのだろう。

 

それにしても何かの物差しがなくては人生のすべてに自信が生まれない。この日本人、或いはアジア人といってもいいのだが、僕たちが生きている基準は自然なのだろうと思う。物差しは自然なのだ。そしてその本当の意味は美しいことが基準なのだと思う。

西方の人たちが神の基準で「正しく」生きているのだとしたら、我々東方人は「美しく」生きようとしている。この美しく生きると言うことは、考えて見ると様々なところで発見できる。武士が切腹するのは武士道に従ってのことなのだが決して詫びるためではない。間違ったことをしたからではない。武士は美しく生きるために腹を切ったのである。三島由紀夫の切腹もそうである。恋いを許されず入水自殺する解決も美の実現の他にない。どうやら美の究極は死にあるらしい。

 

西方の人たちが哲学を持っているとすると僕たちは美意識を持っている。美とは自然の秩序に従うことなのだから美意識とは自分が感じる「生命的な感覚」や「ここちよい感覚」と考えればいいだろう。美という感動のために生きている我々は幸せものである。僕は理論さえ美しくなくてはならないと思っている。思想さえ美しくなくてはならない。美は究極の価値なのだ。美は神のようなものである。

 

仏教では仏は自分の中にいる。或いは自分の中に育てようとする。西方のように神が自分や世界をつくったのではないから、我々ははじめからひとりぼっちである。仏さえ自分の中に育てるのだ。自分の中に他者を見つけたりする。人類だって自分の中にいる。僕たちの思想からは特定の創造者はいなくて、自然がすべてである。そしてその自然も自分の外にではなく自分の内にある。自分自身も自然なのだからそういうことになる。

 

キリスト教やイスラム教の人たちが正しい行いをしようとするときにはちゃんと神の定めた価値が背景にある。価値が自分の外に確固たる思想の背景をもって決まっているからイスラムならジハードという自爆ができるし、キリスト教なら神の好む行いがしっかりと見えているから「正しさ」を基準にした生活も可能だし確信を持って行動できる。

仏教の場合にはそれほど簡単ではない。仏教の仏は自分の中にいるのだから言うならばすべては自分で決めるのである。・・・君が煩悩と戦い悟るようにすべては自分の心に中に価値の基準があることになる。

 

自己を大切にする。自我を大切にする西欧人よりも東方人の方がずっと自己を頼りにして生きている。デカルトの「我思う故に我有り」とはまさに何を今頃・・・と思うほどに神の存在が先にあり神の創作としての人間という思いが心の深部にあるからだろう。僕たちには当たり前にすべてを自分で思い自分で感じて生き方を探している。

美を基準とするためには自分の美の基準を探さなければならない。孤独なのは我々である。そして、同時に僕たちほど他者と融合した存在はない。他者は自分の中に生きているからである。

正しいことのために僕は死ぬ気はないが、美のためなら死ねるというのはここから来ている。自然体で生きられるのも美を基準としているからである。僕は美を探すために明日も生きている。

 

僕たちは西洋人にはない特異な能力を持っている。それは「物を見ないで物が発する気を見る能力」である。気が見えるから間が見える。この能力も美を、自然を基準としているからである。全神経を皮膚に集中して物が発する気というエネルギーを感じ止めることができる。人や物との間合いを計って行動することができる。これは野生の感覚である。自分の中に自然があるからだろう。

2月 02, 2014

君なら好いた女性になんていう?「好いてるよ」なんていい感じだ。「好きだよ」、「結構、気に入ってる・・・」も悪くない。でも、なかなか「愛してる」というセリフを吐く状況が見えてこない。そこはきっとメルヘンチックな環境か、西洋の街角でなきゃしっくりこない。「愛」は始末の悪い言語で或る。

愛は奉仕的で見返りを求めないものであるらしい。一方的な愛である。愛はだから男女の間ではロマンチックでも現実的ではない。愛してあげたのだから愛してくれなくっちゃだめだ・・・というのでは愛じゃない。愛には沸き上がる感覚がある。それがまた感動的で人々の心を刺激するのだろう。愛は憎しみに変わったりもする。要するに愛は能動的なのだ。愛されなくても愛し、状況が変われば、殺したくもなったりする感情である。

これは結構、やばい。やはり、「好いてる」方がいい。好いているから好いて欲しいし、別れられなくなったりする方がいい。愛は憎しみになり殺したくなる感情だが、好きな人との関係は殺人ではなく情死になる。時にはわら人形に五寸釘を打つことになったとしても殺人には繋がりにくい。

愛には「愛する」という動詞がり、愛さなければ愛は生まれない。愛してたのが憎しみに変わるのは愛が能動的だからである。愛することは人の意思で決まる。愛さないことだってできる。憎しむことにだって変わることができる。実は「好いている」という感情の裏に「情」が裏打ちされている。さほど能動的でなくても「好きになる」のはその心の内底に人への「情」が潜んでいる。

「好き」がそのまま情ではないのだが、好きの感覚はまるでそよ風のような穏やかな感情の起伏である。「好かない」も「嫌い」ではない、好かないのである。

愛情は愛と情でつくられている。愛と異なるもう一つの概念、「情」には動詞がない。情を感じることはあっても「愛する」ように能動的ではないからである。愛することは止めることができるが情は切れない。切ろうとしても切れないから情には流されやすい。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」。これは夏目漱石の「草枕」の冒頭のセリフである。愛は人を拘束しないが情は人を拘束する。能動的じゃなくむしろ生まれてから今日までずっと流れていた感情というべきだろう。同じ人間だから路傍で苦しんでいる人がいれば手をさしのべるし、見知らぬ人の苦しみを聞いて情を動かすことだってある。

情は人に中に原始時代から根付いている感情である。容易なことでは抜け出せない。愛は大きさで評価する。「あの人の愛は大きい・・・」と。情は深さで評価する。愛の大きさは偉大なことだけれど、情の深さは逃れられない人の性を思ったりする。愛は美しく太陽のようなのだが、情の美しさは悲しさも含んでいて月のようである。悲しい美しさということだろう。

愛は西洋のキリスト教が生み出した感覚なのだろう。「神への愛」が愛の出発点だったのだろう。そこから「人への愛」が生まれてきた。だから奉仕的であり見返りを求めない感情になる。近代以後、この愛の概念が世界に広がることになった。神の時代から人間の時代(近代)になって神は科学的な価値や人間の価値に置き換えられてきた。だから人への愛は近代思想の中心に据えられてきた。人が自分の心の奥底をのぞき込むとき、そこにあるのは愛ではなく情が見えてくるのだろう。

愛を否定するつもりはないのだが、愛はキリスト教の思想の延長だとだけは主張しておきたい。キリスト教は太陽が象徴だが、東方の美意識では月が美しい。月は太陽のように能動的に輝いてはいない。この受動的な、根源的な光を東方の人々は好んでいる。中国人に「愛」の概念は昔からあるのかと聞いてみたのだがないという。愛は近年になって使われるようになっただけだという。

愛におぼれることはない。愛は愛し続けなくてはならない。情には簡単におぼれることになる。逃げ出せないのだ。憎しみに変わるかも知れない愛を君はまだ欲しいのか?深い情にとらわれて切れない絆で結ばれたいのか?絆とは愛ではなく情がつくる。情は積極的な関係ではなく切れない関係である。

「好いている」。ここには爽やかな風のような心地よい感情がある。そっと情の深淵を覗き込みながら「好いて」いたい。

(写真は中国の長寿村「巴馬」)

1月 20, 2014

一人でいると寂しいのにみんなと居ると一人になりたくなる。勝手だな~と思う。若い頃は夢中でわいわい騒いでいて平気だったけど近頃は特に一人の心地よさは捨てられないなと思う。

人はだれでも一人で生まれて一人で死ぬのだけど一人でいると不安なのも否定できない。一人がいいなという気持ちには僕は一人じゃないという自負があるのだろう。心の底には一人の不安と恐怖が宿っているように思う。

 

人間はたくさんの人に依存して生きている。一人で生まれ一人で死ぬのだけれど一人では生きられない。両親がいなくちゃ自分は生まれなかったのだし、女性がいなくちゃ子供もつくれない。寂しくなると女性と抱き合いたくなるのも母の体温の記憶のせいなのだろうか。子孫を残そうとする生物の本能からだろうか?

 

人は依存しながら自立させられている。人は酸素なしにはいきられない、他の生物を食べて生きている。本当は独り立ちなどしていないのに、心は一人で生きなくてはならないのだからかなわない。

人間は、本当は自然の一部である。自然の一部だと言うことは自然に依存していることなのだがそれにもかかわらず一人で考え、自分の世界を持ち、その内的世界は決して人と共有することができない。

 

人は孤独である。孤独だから人に会い、人と共感したくなるのだが、結局、一人であることを思い知らされる。人の心の中は見えないのだ。どんなに愛し合っていても人の心の中には入れないのだ。

だからまた、人を求める。そして裏切られる。

人間と人間には共感などは決してあり得ないのだろう。そう考えることが正しいだろう。

人はすばらしい自分自身の内的世界を持っている。人は人の創作に感動するときそれは共感ではなく単なる共鳴なのだ。ともに感じるのではなく、他者の創作が刺激になって僕の内的世界が共鳴するだけのことなのだ。そこでは他者は伝達ではなく単に刺激を与えたにすぎない。

視点を変えると、本当は人間の孤独は寂しいことでも悲しいことでもない。無限に広がった内的世界の支配者なのだ。引いてみれば孤独でも挑戦的に見れば支配している。

それなのに、その支配者は限りない浮遊感にも同時に苛まれてもいる。矛盾する二つの絶対的な感覚がある。耐えられない孤独と不安と恐怖があり、偉大な内的世界の自信に満ちた尊厳とその不安が共存している。創造の原点にこの二つの矛盾した感覚があるのだろう。

不安を感じる能力、不安を不安として受け入れる能力と燃え上がる自分の中の創作の感覚。強い人間とはこの二つをしっかりと捕まえていることなのだろう。

(写真は三里屯の装飾照明)

 

1月 03, 2014

異なる意見、異なる思想、異なる感覚は当然、人間だからある。同じ国に棲む人々の間にもあるのだから国が違えば当然、意見の相違は生まれる。鎖国状態であれば起こらないことも情報技術の発達したこの地球では地球が狭くなって日常的に異なる意見と出くわすことになる。

それをいちいち反発して議論しないと言うのではこれからの世界の平和は訪れない。異なるから議論をし意見を交換することこそ大切なことである。それが政治の世界ではなかなか上手くいかないらしい。相手の尊厳を先ず認めていたらそのようなことは起こらないだろうにと思う。対立することで国内の結束を固めなければならない脆弱な国内事情があるのかも知れない。長年の恨み辛みが未来への展望を捨てて喧嘩腰でいるのかも知れないなと思ったりする。

僕たちには確かに過去が記憶としてある。悲しい思いや悔しい思い。怒りもあるだろう。それを優先せざるを得ないとしたらなんと悲しいことだ。どうして悪意に理解して未来の友好に目を向けないのだろう。夫婦だって友人同士だって悪意を持ち続けたら未来はない。未来のために過去を忘れるということはできないのか?

過去の歴史が重要だとしたら徹底して双方が過去の歴史の意味を論文化してはどうか?歴史は日本が一国だけでつくってきたのではないだろう。時代の流れが、もちろんその中に一人ひとりの人の意思も関係してはいても、大きな流れが日本を植民地化に走らせその結果が朝鮮王国の崩壊と清朝の崩壊を誘発させた。それを切っ掛けとして中国の内戦が起こり今の共産党政権が実現したのである。朝鮮王国の崩壊も現在の韓国の独立に繋がっている。

戦争を進めた特定の日本人への恨みより大きな歴史の流れとして勃発した戦争そのものを恨むべきではないのだろうか?もう二度と戦争はしないと誓うことこそ大切なのではないだろうか?

人間という矛盾に満ちた生き物がから簡単には過去を捨てきれないのかも知れない。まだまだ稚拙な人間は自分の利益を追求するために過去を取り上げて対立関係をつくり出し、あわよくば国土を増やそうとしているのだろうか?

意見の相違があるのはほとんどは国と国との関係である。人と人はそれほどの大きな意見の相違は発見できない。文化の相違は楽しいのだけれど国の問題となると喧嘩腰になる。国って一体何だろう?民族相互の争いもこの地球上では後を絶たない。

ことなる民族、ことなる国家では権力争いは起こるのだが人と人の間では思想の相違と文化的相違に気づくだけである。その相違はむしろ好奇心を駆り立ててくれるし興味津々である。意見が違えばもっとその意見を知りたくなる。それが国家となるとそうはいかないのだ。

悲しいことである。いっそ国家をなくせないだろうか?血の融合をはかって民族を一つにすることはできないのだろうか?一つにできないのならせめて争いと共感を同時存在させる方法を見つけ出したい。争いながら共同する。争いながら握手する。争いながら抱擁する手法を、思想を見つけ出したいなと思う。競争と共存は政治以外の普通の世界では当たり前に存在する。

左手で殴り合いながら右手で握手をすればいい。

その争いのばかばかしさを思うと左手の殴り合いは指相撲のようなものに見えてくる。小さな島を争い、プライドと心が傷ついたという小さな争いはせいぜい指相撲と考えてもいい。左手で指相撲をしながら右手で愛撫し合うのがいい。

人と人が殺し合う・・・こんなイメージはだれも持てないだろう。物語だけで充分である。阿部総理の靖国神社の参拝も大人げないプライドだが、それを怒る中国や韓国もまるで子供である。たくさんの国民、市民の幸せとどう関係しているのだろう。飢えた小さな命を思えばこの靖国のやりとりは馬鹿馬鹿しいと言わざるを得ない。政治家たちにもっと普通の市民感覚を持って欲しい。皮膚感覚で人を感じていて欲しい。政治ごっこはもうたくさんである。

 

12月 31, 2013

一緒に上海へ行った友人が自由行動のあとでこんな報告をしてくれた。横断歩道がなかなかないから行き交う自動車の間を縫って何とか反対側に渡ったのだが、向こう側にいた見知らぬ人が声をかけてきたそうです。「あなたたち日本人でしょう?」と。あのような横断の仕方は中国人はしない・・・と言うのだそうである。

そう、中国人は自動車の流れを平気で横切る。自動車も歩行者を轢かないようそっと気遣いしてくれる。だから道路の横切り方のコツは細心の注意は払うのだが、恐れずがんがんと歩いて、止まることなく渡ることなのだ。立ち止まると車も「それなら僕が行く」とがっと突っ込んでくる。

この人間と車の関係は車と車の関係でも同じである。中国の道路には信号が少ないからチャンスさえ見えたら横切ったり割り込んだりは平気である。要はぶつからなければいいのである。中国の道路、特に北京の道路の車線は多い。たくさんの車線をがーとならんで走っている。車線の横には自転車道があり、歩道がある。

このたくさんの車線を車は自在に自在に車線変更して走っている。ちょっとでもチャンスがあれば割り込む。これは歩行者と自動車の関係と同じである。わずか50ミリ程度の感覚を残して上手く割り込む。過剰なほどに管理されて過ごしている日本人には異様なのだが中国人には普通のことである。日本はたくさんの法律があり、指示があり、作法があり、過剰なほどの社会性を要求されてその狭間を生きているのだが、中国ではその管理も指示も作法も希薄なのだ。

東北の大震災の時、東京駅で帰りそびれた人たちがおとなしく電話に行列をつくっている写真が全世界に配信されて賞賛されたのだが、見方を変えれば「世界で一番、管理されたおとなしい日本人」に見えただろう。日本は自由世界でもっとも管理された国だという。僕もそう思う。

そこから見ると、中国は作法がない、ルールがない。ルールを無視した無秩序な社会に見えてくる。もちろん、そんな中国ではネガティブなこともたくさん起こる。契約しても「こんな紙切れ・・」と破棄してしまう。約束しても「できれば支払いたくない」と思っているから最後の支払いは無視されることが多いらしい。税金もできらば支払わないように、いろいろ手を打つ。たしかに社会性がないかのように見える。しかし、自分に利益がもたらされる時にはお金は惜しげもなく支払う。贈賄がそれである。あくまでも彼ららしい方法で、安全に横断し、快適に運転し、上手に生きているだけなのだ。

作法や法律が我々の生活を縛っている。ネガティブに言えばそうなるのだ。ひとりひとりが幸せに過ごしながら人に迷惑をかけないことが大切なのだ。作法もなく法律もなく、それでも平和に過ごしているのが野生の世界である。強者は弱者を従え、ボスざるは雌ざるを独占するがそれも強い遺伝子を残す仕掛けである。強者が弱者を駆逐するからいい遺伝子だけが残されてその種の未来が保証される。過剰に繁殖すると種が滅びることを知っているから自然に淘汰されてある数を保っている。

人間事態も知れば知るほど巧妙にできている。そのように自然の仕組みは信じられはいほどに巧妙にできている。その自然の仕組み、人間という自然の仕組みをそのままに共存して生きる姿が中国に見ることができる。中国は不作法で文化度が低いと思ったらとんでもない間違いである。自然の力が生きているだけである。むしろ先進国の過剰な管理こそ反省するべきだろう。

子供の教育のことも再考するべきだろう。親の過剰管理がこどもの本能的能力の発達を阻害している。過剰に大切にされた現代人は生存の能力をなくしつつある。

中国のこの共存の原理を僕は「群の原理」といっている。素朴だが、ある意味では理想的な社会の構造である。個性的なひとりひとりが他者に配慮をしながら自分の欲望を実現させようとする。他者の欲望と戦いながら、全体が群として調和を保っている。

(写真は鳥の群)

12月 30, 2013

人生を歩くという。歩くは常に活動する人間の普通の姿を表している。人生は走ってはいけない。人生は立ち止まってもいけない。いけないというより立ち止まることができないのだ。

筋肉も骨も身体全体が止まることをよろこんではいないようだ。じっとしていると身体が固まってしまう。やはり動いているのがいい。いつも何かを考え、動いているのがいい。人生を歩いているのがいい。

人生は立ち止まっているように見えても、実は動いている。常にことなる状況が訪れて明日は今日と同じではない。2014年はきっと新しい光景が顕れるだろう。それに対応して僕の心も変化する。

もう何年も前のことなのだが、文化デザインフォーラムで白虎社がダンス教室を開いてくれた。初心者向けのダンス教室である。野獣のように動きなさいというのである。ダンスの基本は野獣の動きだという。自分がライオンになったような気分で身体を動かすと身体の全部が動き始める。いかに人間の普通の動作は全身性を失ってしまっているかに気づかされる。

これは僕が歩きながら発見した歩き方と似ていることに気づいた。そしてまた、NHKがいつか番組で語っていた肩の凝らない歩き方とも似ている。

簡単にいうと「野獣の動き」なのだが、もう少し解説すると「競歩のような歩き」ということになる。「腰を入れて歩く」と言ってもいい。人間は二足歩行になることでいろいろな矛盾を背負うことになった。内蔵の下垂もそうだが胸に感じる不安だってそうである。立つことで地面に守られていた胸が露出して胸に不安感を感じるようになったのだろう。

野獣を見ると、いや猫だって犬だっていい。観察すると人間と明らかな相違は「腰を入れて歩いている」し「肩甲骨までを動かして」手を運んでいる。「競歩のように歩く」とそんな動きになる。まるで手足のストレッチしながら歩いているようになる。

NHKの番組では「いつもより7㎝ほど歩幅を大きくして歩きなさい」というものだった。そうすれば競歩のようになる。要するに二足歩行になって人間は足と手を軽く動かすだけになってしまったのである。

僕は野獣のように歩くことで肩こりがなくなった。いつも腰の上や肩甲骨が凝っていたのだがそれがすっかりなくなった。人間は人間になることで身体も心も楽をするようになった。平坦な道路を歩き、安全の確保された環境で緊張感なしで動き回れるようになった。作法があるからチケットを手に入れるためにも行列をつくって争うことがなくなった。官僚たちが法律をつくって安心安全な街作り、家造りをするから注意深く行動する必要もなくなった。

人間社会は気づけば管理されて野生的感覚を必要としなくなっていた。野生の喪失である。僕は今、どうしたら野生を取り戻せるかを考えている。人間や環境や時代を野性的に感じる能力を育てたいと思っている。僕の中に眠ってしまっているこの野生を呼び戻すことでこの複雑な時代を乗り切る力を得たいと思っている。

未来は読めない時代になった。あまりにも激しく変化し、多様な価値の共存する時代を生きるためには組織的判断や科学的判断では間に合わない。未来を読むより未来を願う強い願望の力が必要になった。野性的感覚で人のこころや時代の空気を感じる生き方が求められるようになった。人間は平等だ・・・などと主張しているだけでは生きられない時代になった。自分で自分の生活をつくることが大切になった。競争の力を培う時代になった。異なる文化が争いながら共存する時代になった。お互いの尊厳を認めながら競争する共存時代になった。

心にも体にも野性的な能力を育てたい。

12月 21, 2013

「デモクラシー」は「民主主義」と同じではないという。しかし、この問題を論ずることは控えよう。

いずれにしても社会をどう市民が構成し、物事を決定していくかがこの二つの概念の重要なポイントであるらしい。

この政治的視点を避けて、この二つの概念に関係する要素を考えてみたい。

 

大切なのはおおよそこんな概念だろう。「1_自由」、「2_平等」、「3_多数決」、「4_権利」、「5_寛容・協力・譲歩」。この5つになるだろう。

(Bureau of International Information Programs “Principles of Democracy” より)

 

なかなか上手く説明されている。自由な個人といえども他人の権利を阻害してはならないし、平等といえども物事の決定は多数決でなされ、少数意見は寛容と譲歩によって個人の権利を損なわないように配慮される。

僕たちはこの民主主義に従って曲がりなりにも平和な生活を過ごしてきた。

 

そこで、もう一度、この多くの社会の人々が幸せに暮らす「政治や社会構造」という視点を離れて、その概念を考えてみたいと思う。

この5つの要素のなかで大切なのは「自由」と「平等」と「権利」だろう。多数決はさまざまな弊害が論じられてきたし、5つめの寛容・協力・譲歩は曖昧だが大切な概念だから「人間関係の潤滑油」ぐらいに考えて論じる必要はないだろう。

 

そして、この三つの内の「権利」は個人の基本的で根源的なものと考えていい。生命体の大原則である。そしてもう一つ、「自由」はこの他人の根源的権利を侵すことなく発揮されるべき権利である。人の権利を侵すことなく自己の自由の権利を発揮すればいいのである。欲望の赴くままに何をしても自由ということではなく、他者への配慮をしながら自己の権利を全うすることである。

 

本当はこの「権利」も「自由」も社会的な概念としてではなく、自分の内的なテーマとして考えるべきテーマなのだろう。民主主義の5つのキーワードのなかでこの「権利と自由」は哲学的、或いは思想的なテーマとしてとらえるべきなのだろう。近代哲学はこの問題を思索してきたのだ。

 

そうなると最後に残るのが「平等」である。この概念は権利や自由のように哲学的概念ではない。むしろ社会的な概念であり、政治的概念というべきだろう。しかし、同時に人間の根源的権利にも関係している。その上、多様で唯一性のある個人と個人がどのように平等であり得るかを考えると、曖昧であるだけではなく、根本的矛盾さえ感じる概念である。

子供と大人はどうすれば平等なのかは難しいテーマである。男と女の平等だって同じように難しい。同性で同年齢だからといっても個性や生い立ちは全部、異なる。ますます「平等」という概念は怪しくなる。民主主義の基本理念に入れることさえ危険な概念だといえそうである。

 

「平等」とはいったい何なのだろう?そんなことはあり得るのだろうか?どういう状態を平等というのかさえ分からなくなる。チャンスの平等が大切だとも言う。結果の平等ではないというのである。しかし、チャンスだってその人の状態が様々である以上、抽象的でしかない。大学を受験する資格は平等でも具体的にひとりひとりの状況を考えたら大学より自立してベンチャー企業を興したい人だっているのだから大学受験の平等など意味がないのである。その異なった夢を持つ二人に平等にチャンスを与えることなどできはしない。

 

「差別」はもう一つ異なる概念というべきだろう。「平等」は基本的権利のにおいをもつ概念だが、「差別」はこれと異なって、人間の他者への意識の問題である。そして、その意識が平等な扱いを否定してしまうことになったりするのだ。しかし、扱いの問題以前に、差別意識が問題なのである。これにはひとりひとりの、或いは時には民族同士の、長い歴史が創り上げる感情があるから簡単ではない。世界の争いはここから始まることが多い。

子供たちの学校での「いじめ」もこの差別が背景にある。習慣の異なるこども、経歴の異なる子供、癖の異なる子供、生活レベルの異なる子供へ、肌の色の異なる子供の感情が差別を生み、いじめに繋がったりする。しかし、これは平等のテーマには近くても「平等」のテーマを考えるのには役立たない。

やはり、人間はそれぞれの立場からどう生きるかを考えるのだ。それぞれが学び、訓練して自分の夢を実現するように努力する。その努力が報われることが大切なのだろう。しかも、努力しても生まれながらの才能からなかなか夢が実現しない人だっている。

誠実に努力してそれでも能力がつかない人と持ち前の器用さで才能を発揮しているけれど誠実さに欠ける人だっている。様々な人間がひとりひとりその人らしい方法で努力している。これをどう評価するのが平等なのだろう。

 

能力がない人でも、誠意のない人でも、努力する気持ちのない人でも、どんな犯罪者でも、人間としての尊厳を持つのだから・・・と考えれば人間としての根源的尊厳という意味ですべての人は平等に評価されるべきだと言うべきなのだろう。犯罪者はそれなりに償いをしながらそれでも人間の権利と尊厳を持っていると考えるべきなのだろう。

 

複数のネズミの群を檻の中で飼育していて、そこに発見できる「平均より優れたネズミ」と「平均的なネズミ」と「駄目ネズミ」を分類して、その群の能力を向上させるために「駄目ネズミ」を排除する。普通に考えれば駄目ネズミがいなくなるのだから優れた「ネズミ社会」ができると思いがちなのだが、しばらく観察するとちゃんと「駄目ネズミ」が群の中に発生しているのだという。群はそれ自体が一つの生命体なのだから駄目ネズミもその群のなかで役割を果たしているのだろうというのである。人間社会も同様だと考えられている。

はやり、駄目人間も役割を果たしているのである。それなら能力の優劣に関係なく駄目は駄目なりに社会が評価をする必要がある。

能力なりの収入を得ながら、その収入なりに生活をする。平等ではなくても最低限の生活を社会が保証していく必要がある。人間の尊厳と「それ自体、生き物のような社会」を構成する一部として権利を持っていると考えるべきなのだろう。能力主義だけでは済まされない評価が要求されることになる。

 

「平等」は社会秩序の問題であるだけではなく、人間の「尊厳」すなわち、「権利と自由」にも繋がる問題を含んでいる。膨大な考察と研究が必要なテーマになるのだが、それでも「平等」の概念は人間の内的問題にはなっていかない。

社会のあり方を決めることのできない中国と民主主具の国、日本を行き来しながら、人間のあるべき姿を考えている。政治の問題としてではない、人間の生き方の問題としてである。社会主義か資本主義かという問題でもない。イデオロギーの問題としてではなく、社会制度の問題としてでもなく、人間の心の問題としてこの「権利」と「尊厳」と「自由」と「平等」を考えている。

中国も日本も確かに「格差」がある社会である。富裕層であろうと貧乏人であろうと、人間の「尊厳」と「権利」と「自由」は内的テーマとしてしっかりと存在する。そして、社会主義社会だから、共産党一党支配の国だからといってこの「権利と尊厳と自由」のテーマは日本と異なることはない。

 

難しい話になってしまった。そのつもりはなかったのだが、どんどんこの難題の深みに填まってしまった。時にはこんな時間も価値があるだろう。